10年たちましたね。
あの時、自分は10歳でした。
この10年は自分は長く感じましたが、社会全体でみればあっという間だったと思います。
それは復興の進行度合いを見ればわかるでしょう。
そんなわけ今日は震災の話です。
2011.3.11
当時はただの小4でした。
昔から「気象」に興味があったので、地震のニュースにはわりと敏感だった記憶があります。
ですから、この地震の少し前に起きていたニュージーランドかどっかでの大きめの地震のことは認識していました。
ただ、遠い外国の話だなくらいの認識です。
そんなこんなであの日を迎えます。
皆さんもそうだと思いますが、あの日のことはいまでも覚えています。
まず、午前中に避難訓練があったのです。
火事の訓練だったと思います。
ですから、校庭に避難するタイプでした。
避難訓練は月に一回あるので「おかしも」の原則を確認するくらいで終わりました。
そして、つつがなく授業は行われていきます。
学期末ということで、テスト三昧でした。
午前中の授業が終わり、担任の教員が出張で学校から出ていき、代打の教員が午後の授業を担当しました。
少し脱線しますが、この担任は今年の成人の日に各児童の実家あてに手紙を送ってきてくれました。
当時、あの教員が私のことをどう思っていたのかはわかりませんが、私は話を聞いてくれるいい教員という印象だったため、懐かしい気持ちになりました。
話を戻します。
午後の6時間目の授業中です。
理科のテストを受けていました。
そのとき、緊急地震速報がなりました。
あれ…?
午前中にもあったから、これはなんかの事故かな。
でも訓練とは言っていないし…
そんなことを思っていると、震度5弱という速報とともに、初期微動がきました。
地震の仕組みをある程度知っていた自分はこの地震がかなり大きいということを咄嗟に認識させられました。
笑えないけど笑える話なのは、そのとき我先にと教員がヘルメットをかぶって机の下に潜り込んでいたことです。
まあ、焦っていたのだと思いますが、呼びかけをするとか窓を開けるとかそういう素振りを見せてくれてもよかったんじゃないですかね。
そこからは長い揺れでした。
悲鳴がうるさすぎて腹が立ったこと以外は覚えていません。
結局3分くらい揺れていたのかな。
揺れは横だの斜めだのもうぐちゃぐちゃでしたね。
耐震工事をした小学校ではありましたが、これマジで大丈夫か?というレベルでした。
揺れが収まったあと、立ち上がりましたが、自分が所属していた野球部のエースが窓際の席でびしょびしょになって苦笑いをしていました。
メダカの水槽の水が揺れであふれ出したということです。
またもや少し話が脱線しますが、この野球部のエースはマジでうまかったです。
バッティングももちろん素晴らしいですが、ショートの守備が超絶うまかったです。
自分は彼がピッチャーのときにショートに入っていましたが、彼と比較してショボいショートだと自他ともに認めていましたね。
で、そのあと待機の指示が副校長から出ました。
校庭で体育をやっていた児童は教室に戻るよう言われ、教室で全校生徒が黙って余震におびえるという状況でした。
そして、児童の親が学校に安否を確認しに来たのをきっかけに、引き渡しの下校となりました。
自分は母親を待つ間トランプをやっていましたが、震度の情報とかをみたくてうずうずしていました。
他のクラスではテレビをみていたのに、自分のクラスはなぜか見せてくれませんでした。
そこで学校ではテレビを見ないというルールをなぜ律儀に守ったのかが未だに分からりませんが。
津波の映像とかを生で目に焼き付けたかったです。
あとでネットで見たりしましたが、結局あのときに緊迫感は再現されないので、自分の中の記憶としては価値が薄いものになってしまいましたね。
それがなにより残念です。
そして、母親が地震発生から1時間後くらいに引き取りに来て、下校しました。
あとから聞いた話ですが、交通がマヒしたことが原因で、いちばん遅い児童は夜の9時くらいまで学校にいたそうです。
小学校の近くに住んでいた若い男性の教員が最後まで付き添ったそうですが、なかなか大変だったでしょうね。
ちなみに自分の父親はその日は帰ってきませんでした。
翌日帰ってきましたが。
我が家ではたまたま次の日から旅行に行く予定でしたから、勝手に避難の用意はできていましたね。
結局避難はしませんでしたが、もし余震で大変なことになったらいつでも逃げることができる状況をつくっておけたのはよかったです。
その日はテレビをみながら眠りに落ちました。
何を食べたかは覚えていません。
ただ、食材を温存していたということは覚えています。
震災直後の街中は
ご存じのようにスーパーに食材はございません。
レトルトとか冷凍食品とかで乗り切った気がします。
津波警報も全然終わらず、結局1週間とかそんくらい続いたんじゃないでしょうかね。
なんかドラえもんの放送中に解除された記憶があります。
ただ、世間がこの未曽有の大災害で混乱しているなか、自分はふつうに公園で野球をしていました。
野球をしている間も余震で揺れていました。
あれは自分も気づきました。
ただ、そのときは「また揺れてるな」くらいで、そのときとんでもない事故が起きているとは思いませんでした。
そのあと家に帰り、テレビを見るとなんだこれはという映像が流れていましたね。
まあ、こんな感じで被害は広がるばかりで、暗いニュースが更新されていく日々を送っていました。
学校も防災頭巾をかぶりながらの登校でしたし、非日常は終わりませんでした。
恵まれているなと思った話
小学校は給食という制度があります。
しかし、震災直後の市場には食品が出回っておりません。
ところが、震災が金曜日でしたが、次の水曜日から給食は再開しました。
これはどういうことなんだ。
実はこんな話があったのです。
東北では物資が不足しています。
食料、飲料水、医療器具など足りないものをあげればキリがないといった状況でした。
ですから、東京などに出荷するルートはほとんど止まっていたわけですが、それでも給食の分はトラックで東京に送られようとしていました。
当然、一部の被災者は反対します。
「その食料をこっちに分けてくれ」と。
ただ、業者(この人も被災者です)は言います。
「これはダメなんです。」
この一言を繰り返すだけです。
他の物資は東北に留めておくことがあっても、この子供たちの給食はなんとしても届ける。
そういった思いで運搬され、無事我々東京の児童の給食は供給再開となったのでした。
この話を聞いたとき、正直いや東北の人にこの食材を与えてもらって構わないぞとは思いました。
東京では、食べるものは東北からでなくても入手できますから。
ただ、この話のポイントはそこではないですよね。
結局、こどもたちは大人に守られている、保護されているということです。
日本人の温かさですよね。
現代の日本には、いわゆる「老害」みたいな人がいるのも事実です。
経済的な理由などから自分のことしか考えない人もいます。
でも、こんな非常時でも自分より赤の他人のこどもたちの食卓のことを考えられる人がいるんです。
こういう価値観が「偽善」とか言われて馬鹿にされがちですが、私は素晴らしいと思います。
自助・共助・公助なんていいますが、後ろの二つがここまで重んじられる国は日本くらいなんじゃないですかね。
いい国です。
そして、そういう人たちに守られて育ったことに感謝します。
本当に感謝します。
いま大学生にまでなりましたが、そうやって年齢を重ねるごとに社会に自立を求められ、社会の仕組みを徐々に知りますが、日本のこどもたちの教育機会は非常に充実していているなと思います。
とても「日本オワコン、日本を捨てる」とは言えません。
震災を受けて
冒頭でも書きましたが、私はもともと気象に興味がありました。
しかし、この震災をきっかけとし、地震に強い興味を抱き、いまはその方面に進んでいます。
なので、同世代の中ではわりと地震に詳しいほうかと思います。
この記事の最後に、これからの地震防災に対する私の考えを記して結びとします。
いま、日本で様々な巨大地震の発生が予想されています。
東海、東南海でも巨大地震の発生が予想されていますが、最もメジャーなのはこの南海トラフでしょう。
これは想定される中で最大クラスの地震だといわれております。
発生すると、太平洋側の広い地域で震度7となるほか、10mを余裕で超える津波が押し寄せてくるといわれています。
現在、地震学の研究者の方々は、この南海トラフの発生の予知を必死でやっているわけです。
その予知はぜひとも頑張って結果を出してほしいわけですが、正直これ以外の地震は予測が厳しいです。
つまり、我々東京の人間が恐れる首都直下地震は予測が極めて難しいということです。
私もそう思います。
理由ですが、海底などでおきる地震は地殻変動など、観測によって予知ができないこともない、可能性はあるといわれていますが、直下型は基本的にそれができません。
これに反論してくれて予測できるのならばそれは結構なことですが、私は予測できる確率より実際にその地震がくる確率のほうが当面は高いと思っているので、「減災」の面に力を入れるべきだと思っています。
東京の官公庁が止まらないようにするには、物流ルートを確保するには、火災への対策は、など考えるポイントはいくらでもあります。
こういったことは専門家が考えてくれますが、一般人の我々は何をすればいいか。
簡単な話です。
その辺の防災系のサイトの書いてあることをやっておけばいいんです。
東京は防災ブックみたいなものを出していますよね。
自衛隊も似たようなものを出しています。
それ読んでください。
それだけで被害は大幅に軽減されます。
東日本大震災の津波で多くの方が亡くなりましたが、あれも前もって知識をつけて、実際に起きたらという想定をしていればもっと被害は軽減できたはずです。
先日福島で地震がおきましたが、ほとんど命に係わる被害はなかったじゃないですか。
そういうことです。
避難袋を購入し、避難場所を確認しておきましょう。
災害用伝言ダイヤルの使い方はご存じですか。
体験利用もできますよ。
企業も対策してくれています。
私はドコモユーザーですが、ドコモは災害時でもインターネットが使えるように準備しています。
災害用キットというアプリはご存じですか。
災害時にも利用できる自販機があるのはご存じですか。
コンビニは災害時に重要な拠点となります。
東日本大震災の時もコンビニが命を救ったという例もあります。
このように自助・共助・公助を駆使して、国民全員で減災に努めましょう。